努力できること自体が才能なので、努力しただけで褒められるべき
発明王トーマス・エジソンの名言としてよく知られる「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という言葉があります。実際の意図は「1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄になる」であったとも言われていますが、まぁどちらにせよ、ひらめきだけでは成功することはできず、そこには必ず努力も必要となります。
漫画「はじめの一歩」において主人公の師匠である鴨川会長は「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる」と言っていました。ここにも、成功において努力は必要不可欠であるとの強いメッセージがあります。
しかし、実際には誰もが努力できるわけではありません。努力できること自体が才能なのだと思います。
努力をしないことが問題だと言うつもりはありませんし、努力をしないという選択肢を選ぶことは個人の自由だと思います。必ずしも成功が万人の幸せなわけではないし、成功しなくても得られる生活によって満足する人だっています。
僕が言いたいのは「そもそも努力できない人がいる」という事実です。こういう方は選択の余地が無く、何かにおいて1位になったり、一流になったり、勝利したり、成功したりすることは難しくなります。それらには必ず努力が必要になるからであり、そして努力ができない、努力をする才能が無いからです。
これには実験の裏付けがあります。詳しくは10年前のWIREDの記事に書かれていますが、ざっくり言うと、脳内の一部(左線条体と前頭前皮質腹内側部)におけるドーパミン作動性活性が高いと努力ができる、違う一部(島皮質)のドーパミン作動性活性が高いと努力できない、という実験結果があります。そもそも脳の作りや働きによって努力ができる人とできない人がいる、ということです。
繰り返しになりますが、僕は努力しない人が悪いとも思っていないし、責めるつもりもありません。僕が言いたいのは以下の2点です。
(1)努力できること自体が才能であり、その才能が無い人はそもそも努力ができないので、努力できないことを責めてはいけない。それは本人の特性であり個性だから。
(2)努力できること自体がすごいことなので、努力した結果が成功に結びつかなかったとしても、責めてはいけない。努力しただけで褒められてよい。
人にはそれぞれ適材適所があるので、めちゃくちゃ努力する人は努力が求められる人生を選択し進めばいいし、努力しない人やできない人は努力しなくても良い人生を選択すれば良いだけです。そして努力することをバカにしてもダメだし、努力しないことを蔑んでもダメです。みんなが自分の選択や能力を尊重し合う世界になると良いなぁと思ってこの記事を書きました。
ときど(著)