「わからないのがわからない」という断絶

「わからないのがわからない」という言葉が使われるのは2つのパターンがある。

1つは新入社員などのその環境に不慣れな人が使うパターンで「わからないんだけど、何がわからないのかがわかりません」というもの。これは経験不足から発生するものであり、業務知識のような「その場の常識」が身に付いていないが故にわからないのであって、多くの場合は場の理解と経験/体験によってカバーされ、3ヶ月もするとわかるようになる。ある意味では自分の立場をよく理解しているポジティブな発言と捉えることが出来るだろう。これは断絶ではない。

もう1つが、先輩や上司が「俺はわかる、普通はわかるはず、なんでお前がわからないのかが俺にはわからない」というもの。これはコミュニケーションの断絶であり、もっと言えば拒絶だ。こういう発言をする人の多くは自己評価が低く自分は普通だと思っているが、実際には非常に優秀であり、誰もがこの人と同じ行動が取れる訳では無いのだけれど、自己評価が低い故に自分と同じことが出来ない人が理解できない。

デール・カーネギーが「人は誰でも、 他人よりも何らかの点で優れていると考えていることを忘れてはならない」と言っていたけれど、僕に言わせれば「人は誰でも、 他人よりも何らかの点で優れている」のだし、自分は他人よりも何らかの点で劣っているのだ。どんな関係性であっても他人に対するリスペクトは失ってはならない。ある事柄について相手がわからないのは、その事柄が間違っているからかもしれないのだ。だからこそ丁寧な説明とや議論といったコミュニケーションが必要だ。

この前のブログエントリでも書いたけど「コミュニケーションとは相互の知見や経験を共有するプロセス」であり、相互に努力をする必要がある。片一方からの押し付けはコミュニケーションでは無い。この春から先輩や上司になる皆さんには是非考えて頂きたい。



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