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2013年12月31日をもって退職します

2013年12月31日をもって、現在の会社を退職することになりました。
2001年より丸12年間、会社設立時からのメンバーとして、全エンジニアを統括するマネージャとして、そして一人のエンジニアとして、業務に従事させて頂きました。経営や、マネージメントや、リーダーの在り方や、エンジニアとしての働き方や、本当に多くのものを学ばせて頂きました。厚くお礼申し上げます。

こんなにもお世話になった会社を退職させて頂くことになったのは、一重に僕個人の危機感によるものです。

0.前提
僕は過去12年間、インフラエンジニアとして働いてきました。インフラというのはとても大きな括りのざっくりとした言葉ですが、地方におけるインフラエンジニアとしては有りがちな「環境何でも屋」に近い位置づけです。ネットワーク設計からネットワーク機器の設定・構築を中心として、ネットワークに関わるサーバやサービス、DB、フレームワーク、クライアントPCのセットアップまで、何でもやります。提案営業もやったし、運用や保守にも携わってきました。特化した技術が無い代わりに、何でも広く(浅く)対応出来る、というのが現在の僕の特性です。

1.僕の戦場が狭まっている
10年前の僕の仕事は、ネットワークを設計構築し、サーバを設計構築し、サービスを設計構築することでした。例えばWebシステムならApacheと関連するモジュールをセットアップするところまでが僕の仕事で、そしてアプリケーションを担当するエンジニアはその開発したアプリケーションをコンテンツフォルダに置くだけでした。環境は全てインフラ担当が、アプリケーション担当は開発をするだけ、そんな住み分けがありました。牧歌的な時代ですね。
しかし今ではアプリケーションエンジニアがWebサービスを立ち上げるのが当然のようになっているし、更にはフレームワークやDBのセットアップまで自分たちでやるようになっています。PaaSやIaaSのようなモデルが生まれたことで、クラウド上のネットワーク設計やロードバランサに至るまで、何でもアプリケーションエンジニアが自らするようになっています。
かつてハイレイヤーを戦場にしてきた人たちがどんどんと低いレイヤーにも攻め込んできている。そんな中で僕のようなローレイヤーエンジニアが、ずっとローレイヤーだけで戦っていけるんだろうか、いつかパイを食い潰され、僕が戦える戦場が無くなるのでは無いか。そんな強迫的な危機感を、この3年ほどずっと考えていました。

2.僕の仕事が減っている
これもまた昔話ですが、かつて大手ベンダやSIerが案件を受注したらエンジニアは全て下請けで賄っていた時代がありました。僕もその流れで大手ベンダに常駐し、ネットワーク案件に関わることでインフラエンジニアとして経験を積みました。しかし景気衰退に伴って大手ベンダやSIerでは「内製化」がキーワードとして飛び交うようになり、今では古くからいる極少数のエンジニアが抱え込まれたまま新たなエンジニアが参入することが難しくなってきました。また大手ベンダから外部に出る受託案件自体の数もどんどん減少していると感じています。僕のような中小企業に勤めるインフラエンジニアの食い扶持を安定的に確保するのはこれからどんどん難しくなるだろうと思います。

3.エンジニアとしての僕が死んでいってる
ここ数年はエンジニアとしてよりマネージャとしての立場で業務に従事することが多く、自分で手を動かしたり、新しい技術にチャレンジしたりする機会がどんどん減ってきました。もちろんマネージメントも大事なんだけど、このままエンジニアとしての僕がどんどん死んでいくのかなぁと思うのはとても辛いものでした。もっともっと勉強して、もっともっと出来ることを増やして、もっともっとエンジニアとして仕事をしたい。これは35歳の中堅会社員としては我侭なのかも知れないけれど、短い人生の中で出来るだけ楽しく生きたいと思う僕にとっては重要なことでした。

4.つまり
この先の生存競争に勝つために、僕が今持っている武器を磨くと共に、新しい武器を手にする必要がある。負けたら食っていけない。今のままのやり方では勝てない。その危機感こそが、今回退職することになった理由です。

5.これから
新しい武器を手にすること、その武器を上手く使えるようになること、その武器を後進に伝えること、そしてまた新しい武器を手にすること。このサイクルを上手く回せるようなエンジニアになりたいと思っています。

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ここ最近、コロナウイルス関連の報道が数多くあるが、その中でも多くの企業がリモートワークを推奨するという記事やプレスリリースが注目を浴びている。それ自体はもちろん大変望ましい。不要な対面での接点を減らすことで感染リスクを抑えることが出来るし、通勤ラッシュや首都圏への経済集中も抑制出来るからだ。

だがちょっと待ってほしい。リモートワークというのは社員が在宅で働くことだけを指すのではない。社員が在宅で働いても出社時と同じパフォーマンスが出ることをリモートワークというのだ。だからこの記事のタイトルで「リモートワークは仕組みじゃなくて文化です」と書いた。

弊社がリモートワークを導入したのは2011年の東日本大震災がきっかけだけれど、9年経った今、どのようにリモートワークを運用して、そしてパフォーマンスを維持しているかを共有したいと思う。以下のことが文化として根付けば、その会社のメンバーはリモートワークでもオフィスでも同じようなパフォーマンスが発揮出来るはずだ。

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2.休憩も厳密に管理しない え、だってダルくないすか。管理するの。何時に休憩し始め(ry

3.工数を厳密に管理しない え、だ(ry

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