腹が減った

腹が減った。腹が減ると臍の裏側つまり腹部の中心が短い間隔で収縮し酸味の強い痛みを感じる。これは恐らく胃があるであろう場所なのだと思うが確証は無いし確証を得るほどの知識もその知識を得ようと努力する気も無い。食事摂取後十時間も経過すると腹部の痛みを感じる間隔はどんどんと長くなるがその時に感じる痛みは短い間隔で感じていた痛みよりも強くなりより益々酸味が増す。痛みに酸味を感じるというのは不思議な気もするがそこには確かに酸味があり胃液の記憶であろうと思われる。激しい空腹の時に刺激の強い食物を摂取するのは身体的負担が高いというのが通説だが激しい空腹の時に真っ先に食べたくなるのはやはりカレーであり小荳蒄と丁香と唐辛子が激しく効いた刺激の強い物が良い。馬鈴薯と人参は大きく切られて盛り沢山に入っていると良いし肉は豚か鶏で無くてはいけない。脳裏に浮かぶのは元々は純白であっただろう日に焼かれ黄色く変色したレースのテーブルクロスに覆われた背の高い木製の食卓と同じく木製の所々欠け始めた四脚の椅子でそのうち一つには座布団が敷かれまるで家長用として定められた証であるかのように思える。斜めに差し込んだ橙色の日光が声高らかに夕闇の到来を報せ最近滅法小さく見えるようになった母親の背中で交差されたエプロンの紐を斑に染めていて何か声をかけようかと逡巡するが結局は何もかける言葉など無いのだと思いあらぬ方向に目を背けるがガスコンロの上でぐつぐつと煮立ちの音を立てる鍋から流れ出る香ばしいカレーの臭いに惹かれまたすぐに母親の背に目を向けてしまうのだ。そういえば最近父親の姿を見ることが無くなったなと思い返すが思い返せば思い返すほど最後に父親に会った日の記憶が曖昧でそもそも私には父親がいたのだろうかと回想の深度を下げていこうとする自分をまるで第三者のように見ている自分を感じ回想を諦める。卓上には確か私が幼少の頃小学校の工作で作成した筆立てが箸立てとして流用され鈍重に曲線を描き銀色に光るスプーンが持ち手を下に立てられており私が幼児用の小さなスプーンから大人用の大きく重たいスプーンを使うようになったのは何時からだったかと考えることで時間を費やそうとする。夕餉にはまだまだ時間があるが私自身にはその時間を有用に使う術を特に思いつくことが出来ないから仕方が無く物思いで無為に時間をやり過ごすのだ。そんな思い出に浸り始めたのが今はそんな余裕も無いほど腹が減った。カレーというのは兎角私の人生の随所随所に登場する逸れは私の人生における杭又は指標となるものであるのだ。例えばカレーが台所の蛇口から出てくれば良いだとかカレーに溺れて死にたいだとか水筒にカレーを入れて持ち歩きたいだとかそんな幻想的又は牧歌的悪く言えば趣味の悪い妄想を常に考えており日々の仕事の中で部下に指示を出す時も友人とささやかな酒宴に繰り出した時も子供と蹴球で戯れる時も妻に愛の言葉を囁く時も私の脳裏には常にカレーがあるのだ。もしかして自分は病的なのかも知れないと考えることもあるがカレーが原因で精神を患うなど聞いた事も無い荒唐無稽な冗談のようだと思うがそう考えるのもカレーが原因で精神を患った私だからこそなのかも知れないと思い悶々とし枕を濡らす夜もあるのだ。今私が触れている鉛筆も電話機も大きく厚く悪意の塊のような難解な日本語訳の技術書も私がカレーを思うが故に生み出した幻想なのかもしれないと思うがとにかくこの臍の裏側つまり腹部の中心で感じる酸味の強い痛みだけは真実であろうと思うので私が空腹であることは紛れも無い事実なのだからこそこうして意味も無く取りとめも無く誰かに宛てる訳でも無い文章をつらつらと書き連ねているのであろう。

と、いうことを、仕事中に考えていた。さぁ妻が作ってくれたお弁当、食べよっと。

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