散文:月が斜めに欠けた夜に

月が斜めに欠けた夜はその不完全さが逆に安堵をもたらす、そんな夜はその平穏な静けさに飲み込まれ迷子にならぬよう気分を高揚させた方が良い、例えばグラスに2cmだけ注いだ酒、例えば少し気の抜けた煙草、あるいは僕が大好きな彼女の笑顔のイメージで。雲は心の蔭りと同じく全く無いと逆に不安になる、だから僕は願う、闇夜に浮かぶ不定形な水蒸気の塊がいつも留まらぬまま流れに身を任せていますように、まるでふらつき歩く僕のように。

一人であることと独りであることには大きな隔たりがあるし一人である夜にはもうすっかりと慣れたつもりではあったが、稀に独りであることを強く感じた時には体中の穴という穴から-109℃まで冷やされたウォトカを注ぎ込まれたような悍ましく狂おしい感情に襲われる、それが寂しさだということは理解はしているが受け止めるだけの余裕は無い。

例え話をしよう。君が愛した誰かが螺子巻き仕掛けの人形だったとする、その螺子はもう古く錆付いていて以前に巻かれたのはもう十年も前だ、人形は言う「そろそろ螺子を巻いてくれないか、そうで無いと私は止まってしまい貴方と一緒にいられなくなるから」貴方はどうするだろう?僕は迷わず螺子をへし折り人形の動きを止め僕の傍で永遠に留めておくだろう、独り善がりであるのは分かっているが独り善がりでない愛を信じ続けるには僕は人生を足早に歩み過ぎた。

夜の散歩は冷えた大気と暗闇の深さが僕を包み、それは安堵と寂しさに満ちてあるいは不安と愛に満ちて、きっと彼女の声が聴きたくなるだろうと携帯電話を持たずに来たのは正解だった、空いたビールの缶をきちんとゴミ箱に放り入れるだけの理性はあるが、車通りの無い中央斜線を真っ直ぐ歩くこともままならない程度に酔うくらいの自棄は僕の手先足先まで染み渡っている。

僕は傍に留めた人形を片時も目を離さず見つめ続け過ごすだろう、それは十年かも知れず二十年かも知れない、そしていつか僕は人形に水を浴びせ錆付き朽ちさせ、それを見届けた後に部屋のドアを開けて出て行くだろう、独り善がりでない愛が無いように、永遠に続く愛も無いのだから、しかし今の僕は人形と過ごす時間が少しでも長く続けば良いと願っている、そう願わずにいられないのもまた人間らしさであると信じている。

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