スキップしてメイン コンテンツに移動

世界の終わり

同じ夢を何度も見るという経験をしたことがありますか?僕は数年に一度必ず見る夢があります。それは「世界の終わり」です。

初めて見たのが中学2年生のころで、それ以来4,5回は見ました。すごくはっきりとした夢で、細部まで記憶に残っていて、そして毎回ほとんど変わりません。そして目覚めたときにはいつも、とても幸せな気分になっています。夢って不思議ですよね。

今日はそんな「世界の終わり」を文章で表してみました。大体僕が感じているイメージに近いと思います。

---
転寝をしていたことに気がつき、僕は薄く目を開ける。バスの後方に位置する一人掛けの椅子に座ったまま、いつの間にか寝てしまっていたらしい。くたびれたサスペンションが、労咳の犬が咳き込むような、軋んだ音をたてる。板張りの床に反射した真っ赤な夕陽の光が僕の目を指し、嫌でも緩慢な思考を刺激して、少しずつ僕は覚醒する。

大きな丘の一本道を、ガタゴトガタゴト揺れながら、古いバスが上っていく。浅く刈り込まれた草原は真っ赤に染まり、群生する磯巾着にも見える。微風に棚引く多数の触手は何もかも諦めたかのようで、餌を捕らえるといった本来の目的は既に忘れたのか、ただただゆらゆらと揺れている。

バスに相乗りした乗客は僕以外に二人、短く刈り込まれた白髪の痩せた老人と、まるで個性の無い熊のぬいぐるみを抱きかかえた中学生くらいの少女。誰も喋らず、身動きもせず、ただ外の景色をじっと凝視している。少女は時々小首をかしげるが、それが何に対し何を主張したい行為なのか、僕には理解できない。車内にはただバスの車体が軋む音だけが響く。

やがてバスは丘の頂上に到着し、白く角ばった建物の前で停車する。その建物は大きな観音開きの扉を入り口とし、壁には刳り貫かれた窓代わりの穴が開いている。ガラスははめ込まれていない。立方体が二段重ねられた形で、1階の上部、そして2階の上部つまり屋上に当たる部分にはぱらぱらと人が集まっており、思い思いに遠くの空を見つめている。

僕は一番最後にバスを降り、老人と少女に続いて建物の中に入る。屋内も外観と同じようにまるで生活臭が無い。家具も無く、灯りも無い。壁には2階に上がるための階段上の出っ張りが掘り込まれていて、まるで大きな洞窟のようだと僕は思う。僕は階段を上り2階に上がる。窓代わりの穴の中でも一際大きなものを潜り抜け、僕は1階の上部に出る。そこは大きなテラスのようになっており、幾つかの円卓が置かれている。そこに彼女がいた。

僕は彼女の向かいの腰掛ける。円卓の上に予め用意されていたティーセットを使い、彼女は僕に温かい紅茶とレモンを一切れ淹れてくれる。そこから見える景色と同じく彼女も夕陽の赤に染まり、まるで別人のようだと僕は思うが、きっと僕も同じように見えるのだろうと考え口には出さない。ティーカップの熱が僕の掌を伝い心を温めてくれる。

「気分はどう?」と彼女は言う。
「そうだね・・・とても穏やかだ。空は高く、草原は美しく、紅茶は美味しい。君と一緒にいることができる。幸せな気分だよ。こんな世界の終わりなら、何度あったって良い」と僕は言う。
彼女は少し微笑んで自分のティーカップに手を伸ばす。

誰かがつけたラジオから、とても小さな擦れた音で、美しい音楽と、朴訥なアナウンサーの声が聞こえる。僕は彼が語る内容に興味は無いが、しかしその声は音楽と混ざり合い意外にも心地良い。誰もが小さな声でそれぞれに会話を楽しみながら、やがて訪れる世界の終わりを待っている。

そう、今日、世界は終わるのだ。世界の終わりは静謐に、雪が降り積もるように、静かに世界に舞い降りる。僕たちはただ立ち尽くし、空を、世界を見上げることしかできないのだ。

「後悔は無い?」と彼女は言う。
僕は少し考え、「無い。君と一緒に世界の終わりを迎えられる、これだけでどんな後悔も溶けて消えてしまった」と答える。
彼女はまた微笑んだ。そんな彼女を僕はとても美しいと思う。

やがて陽は沈み、世界は闇に満ち、世界は、終わる。

このブログの人気の投稿

自走する組織に必要なのはルールではなくガイドライン

ということをいつも心がけている、という話です。 僕が組織のマネジメント職を20年ほどやらせてもらっている上で、いつも意識しているのは権限移譲とセルフマネジメントです。この辺の話は過去のブログにも書きました。 管理職のためのエンジニア組織構築マニュアル 管理職のための役職引退マニュアル 現場に口を出さないマネージャーの作り方 つまり「権限と裁量を同時に移譲し、責任感を持ってプロアクティブに仕事をしてもらいながらも、メンバーの良いところを更に引き出して高いパフォーマンスを出してもらう」ことこそが、マネジメント職のやるべきことだと思っています。 そのために僕がいつも権限移譲の際に伝えるのは、ルールではなくガイドラインです。ルールは規則や規定といった決まりごとなので「やること」「やってはいけないこと」が書かれたものです。ガイドラインは大まかな指針なので「方向性」「やったほうがいいこと」「やらないほうがいいこと」が書かれたものです。 ルールを提示した場合、そのとおりにすれば過去の実績からある程度の成功は見込めるものの、状況に応じた柔軟な判断が出来ませんし、メンバーの考えや意見が行動に反映されません。メンバーはルール通りの行動しか出来ず、結果としてルールを作成した人以上の成果は出せなくなってしまいます。 ガイドラインの場合、会社として望ましいと考える方向性だけが書かれているので、状況に応じた柔軟な判断も出来ますし、メンバーが考えるより良いやり方や行動を取り入れることが出来ます。ガイドラインを作成した人以上の良いアイデアがあればガイドラインをアップデートすることも出来ます。 これは権限移譲だけでなく、育成においても同様だと僕は考えます。1から10まで決まりきったカリキュラムをやらせることも時には(あるいは人によっては)必要だけれど、本当に価値のある育成は、メンバーに目指してほしい姿を伝え、現在とのギャップを一緒に認識し、そのギャップを埋めるための多種多様な方法を伝えて、その上で本人が取捨選択して自分自身で学習していく。企業や上長はそのサポートを行う。というのが、最も成長出来る育成方法だと思います。 学習する組織 ― システム思考で未来を創造する posted with AmaQuick at 2

努力できること自体が才能なので、努力しただけで褒められるべき

発明王トーマス・エジソンの名言としてよく知られる「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という言葉があります。実際の意図は「1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄になる」であったとも 言われています が、まぁどちらにせよ、ひらめきだけでは成功することはできず、そこには必ず努力も必要となります。 漫画「はじめの一歩」において主人公の師匠である鴨川会長は「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる」と言っていました。ここにも、成功において努力は必要不可欠であるとの強いメッセージがあります。 しかし、実際には誰もが努力できるわけではありません。 努力できること自体が才能 なのだと思います。 努力をしないことが問題だと言うつもりはありませんし、努力をしないという選択肢を選ぶことは個人の自由だと思います。必ずしも成功が万人の幸せなわけではないし、成功しなくても得られる生活によって満足する人だっています。 僕が言いたいのは「そもそも努力できない人がいる」という事実です。こういう方は選択の余地が無く、何かにおいて1位になったり、一流になったり、勝利したり、成功したりすることは難しくなります。それらには必ず努力が必要になるからであり、そして努力ができない、努力をする才能が無いからです。 これには実験の裏付けがあります。詳しくは10年前の WIREDの記事 に書かれていますが、ざっくり言うと、脳内の一部(左線条体と前頭前皮質腹内側部)におけるドーパミン作動性活性が高いと努力ができる、違う一部( 島皮質)の ドーパミン作動性活性が高いと努力できない、という実験結果があります。そもそも脳の作りや働きによって努力ができる人とできない人がいる、ということです。 繰り返しになりますが、僕は努力しない人が悪いとも思っていないし、責めるつもりもありません。僕が言いたいのは以下の2点です。 (1)努力できること自体が才能であり、その才能が無い人はそもそも努力ができないので 、努力できないことを責めてはいけない。 それは本人の特性であり個性だから。 (2)努力できること自体がすごいことなので、努力した結果が成功に結びつかなかったとしても、責めてはいけない。 努力しただけで褒められてよい。 人にはそれぞれ適材適所があるので、めちゃくちゃ努力する人は努力が

「許可を得るな、謝罪せよ」が意図していること

 弊社ではセルフマネジメントとアウトプットファーストを行動指針として掲げていますが、セルフマネジメントを象徴する言葉としてよく使われるのが 「許可を得るな、謝罪せよ」 です。 細かい話は 以前ブログにした のでそちらを読んで頂くとして、この言葉が意味するのは「アクションするのにいちいち許可を得る必要はない。許可を取る時間が無駄。やっていいですかじゃなくてやりましたと言えばいい。その結果間違っていれば謝れば良いだけ」です。 何故この方針を取るのか、この方針によってどのような結果を期待しているのか、を改めて整理したいと思います。 アクションのスピードを上げたい これは上述した意味の通りで、何らかの施策や企画があるときに、上長の許可を取るために資料を作ったり、打ち合わせしたり、下調べをしたり、という時間が無駄だからです。 この考え方の前提として「小さな失敗を早くたくさんする」というのがあります。どんな施策も企画も、正解なんて誰にもわからないし、やり方次第で変わるものです。アイデアの時点であーだこーだ言うより、実際に手を動かしてやってみて、その結果から継続の判断を行うことで、リスクを小さく、コストも小さく、たくさんアクションすることが出来ます。 モチベーションを持って取り組んでもらいたい 何でもそうですけど、人に言われたことをそのままやるより、自分で考えたことを自分のやり方でやるほうが、面白いです。僕が仕事をする上で、または僕がピープルマネジメントする上で、一番重要視しているのは、面白いかどうか、です。 担当者がモチベーションのないままやって成功することなんて(ほとんど)ありません。その施策や企画の実施に一番モチベーションがあるのはそれを考えた人なので、その人に主導してもらうのが一番成功率が高いです。 主体性を持って取り組んでもらいたい モチベーションと同様に、担当者が主体性のないままやって成功することなんて(ほとんど)ありません。その施策/企画を自分ごととして捉え、だからこそ知恵を絞って、全力を発揮する、つまり主体性を持って取り組むことが、一番成功率が高いです。そしてもちろん、一番主体性を持てるのはそれを考えた人です。 なお、主体性と責任は違います。前述の通り「小さな失敗を早くたくさんする」ためには、失敗に対して責任を追求するのではなく、結果と知見を追求する、という文化が