リモートワークは目的でも手段でも無く、ただの環境
なので、良いも悪いも無いんだよ、という話をします。
コロナ禍がおおよそ落ち着いてきて、コロナ禍前の日常を取り戻そうという動きが見られるようになった昨今。合わせてリモートワークについても見直そう、あるいは出社を増やそう、という話があちこちの会社で聞かれるようになってきました。僕も最近色んな人から「今後リモートワークについてどのように考えていますか」みたいなことを聞かれます。
結論はタイトルの通りです。リモートワークなんてただの環境です。目的でも無ければ手段でもない。会社は社員に対して成果を出すことを求めていて、その対価として給与を支払ってるわけで、成果さえ出せればどこで働こうといつ働こうとどうでもいいんです。
なので成果を出すことを前提とすれば、リモートワークには良いも悪いも無いです。リモートワークのほうが成果が出せるならリモートワークすればいいし、リモートワークだと成果が出ないならリモートワークはしなければいい。成果が出ないのにリモートワークを選択したいのであれば、それで評価が下がるリスクは自己責任で受け入れなければいけない。逆に言えばそのリスクも込みでリモートワークを選択するのも個人の責任なので構わないと考えています。
テレワークの弊害としてよく挙げられるのはコミュニケーションですが、そもそもオフラインコミュニケーションを取らなくても成果を出せる人はいるし、そういう人はそれで構わない。オフラインコミュニケーションが必要な人は出社すればいい。難しいのは「オフラインコミュニケーションがないと成果が出せないのに、それに気づかずリモートワークを選択し、成果が出せない人」ですが、まぁそれも自己責任なんで良いんじゃないすか。会社としては成果しか見ないわけで、自分が成果を出せているのかどうか、どうやって成果を出すのかを考えれば、必要な人は出社するし、必要ない人は出社しない、それで成果が出せなかったとしても自己責任です。
ただし、この話にはさらなる前提があります。成果が何かが明確になっており、その評価も明確であることです。成果がフワフワしてたら評価しようが無いし、その評価の基準が感覚的で公平性が無ければ出来てるのか出来てないのかわかりません。なので何を持って社員を評価するのかが明確ではない会社は、そもそもリモートワークには向きません。リモートワークという制度の前提は確固とした評価制度です。
なお、僕自身はリモートワークのほうが明らかに効率的でパフォーマンスが高くなるので今後もリモートワークを継続しますが、メンバーに会って会話したりご飯食べたり飲みに行ったりするのが好きなので、時々出社しようと思っています。
ジェイソン フリード(著), デイヴィッド ハイネマイヤー ハンソン(著), 黒沢 健二(翻訳), 松永 肇一(翻訳), 美谷 広海(翻訳), 祐佳 ヤング(翻訳)