スキップしてメイン コンテンツに移動

スーパーポジティブマッシーンで在り続けるための6つの考え方

僕は自他共に認める超ポジティブシンキングな性格だ。人生を振り返ってみれば、旅行やイベント参加はいつも最高の思い出しか無いし、今ではほぼ終わりかけている子育ても楽しかった記憶しか無い。自身に対するコンプレックスもなく、いつも「まぁパパほどのイケメンは世界にいないからね」と言っては妻や長女に呆れられている。実際には細かい嫌なこととか辛いこととかはあるんだけど、その全てを良いことに転換して受け止めている。

これは僕の弟も同じタイプで、二人で遊びに行った時はいつだって「今日も最高の1日だったなー」と言いながら帰ってきている。先日僕と弟の二人でキャンプに行ったんだけど、大雨、強風、低気温にも限らず楽しめたし、「今回のキャンプも最高だったね」と言いながら帰宅した。

なぜ僕はこんなにもスーパーポジティブマッシーンなんだろうと振り返ってみると、いくつかのベースとなる考え方を持っていることに気づいたので、ここに書いておく。

どんな髭剃りにも哲学はある

恐らく100回は余裕で読み返したであろう僕の大好きな小説、村上春樹の「1973年のピンボール」の登場人物ジェイの名言。

"あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ。こういうことさ。人はどんなことからでも努力さえすれば何かを学べるってね。どんなに月波みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。どんな髭剃りにも哲学はあるってね。どこかで読んだよ。実際、そうしなければ誰も生き残ってなんかいけないのさ。"

初めて読んだ中学生の時からこの考え方には深い感銘を受けていて、どんな物事でも、経験でも、事件や事故でも、そこには何からの学びがあると考えるようにしている。

例えばランチのために有名なレストランに行ったんだけど大行列が出来ていて入店出来なかったのであれば、そこには「次回からは早めに行く」という教訓がある。例えばキャンプで大雨に見舞われたのであれば、それは大雨で快適に過ごすためのキャンプのTipsを得る機会になる。

このジェイの言葉は「どんなことからも学べ」という文字通りの意味ではなく、「どんなことも学びと思えば楽しめる」という意味だと捉えている。

経験出来たこと自体に価値がある

極論を言えば、人は経験からしか学べない。本を読んだり、人の話を聞いたり、映画やテレビからストーリーに触れたりすることはただの知識であって、その本質を知り得るのは経験こそだ。全ての経験は学習機会であり、経験出来たことそれ自体に大きな価値がある

嫌な思いも、辛いことも、経験したからこそ我慢する方法や乗り越えるための手法、次回同じことが起きたときの対策が学べる。そう思えばそれはただの嫌さや辛さではなく、自分にとっての学びだと捉えることができる。

念の為、これはもちろん「俺も辛い体験をしたんだから若いヤツも同じ体験をしろ」みたいな話では無い。自分の体験全てをポジティブに捉えるための考え方の話だ。

XXXと比べれば大したことがない

XXXには何を入れても良い。左腕と右眼を失ったガッツでも良いし、頭蓋骨を欠損した鶴見中尉でも良いし、車椅子生活になった5部ナレフでも良い。漫画の登場人物ばかりになっちゃったけど。

自分が世界で一番不幸になんてことはない。世界にはもっともっと辛い出来事や、それを経験した人がいるのだ。いるはずなのだ。「まぁちょっと嫌な思いしちゃったけど、XXXと比べれば大したことがないな」と考えれば大抵の嫌なことは屁でもなくなる。

これは誰かを貶めて自尊心を満足させるということではない。誰かに比べれば自分の不幸なんて大したこと無いからへっちゃらさ、と考えようってことだ。

Tomorrow is another day

これも有名な言葉ですね。映画「風と共に去りぬ」の主人公スカーレットの言葉で、日本語に訳されるときは「明日は明日の風が吹く」とか「明日は今日とは違う日だ」とかになる。

起きたことは変えられないし、起きてしまったことは仕方がない。今日のことに気持ちを引きずられるのではなく、明日頑張ればいいじゃない。というニュアンスの言葉だと僕は理解している。

これはどんなことでもそうで、何か問題が起きた時に、それに対してずっと嫌な気持ちを持ち続けるよりも、その問題が今後発生しないようにポジティブなアクションに繋げたほうが今後の自分自身の成長に繋がるし、ずっと楽しい気持ちで生きていけると思う。

自分が思っているほど、みんな僕のことなんて気にしていない

あー失敗しちゃったなーやっちゃったなーってことはもちろんある。あるんだけど、実際のところソレを一番気にしているのは自分自身で、他の人はすぐ忘れる。なんなら見てない。みんな、他人に対してそんなに興味持ってないのだ、ぶっちゃけ。

失敗したなら自分がそれを直せばいい。嫌な思いをしたなら今度は同じ思いをしないようにすればいい。それらは自分自身の努力でいくらでも解決できる。そして失敗によって迷惑をかけてしまった相手とか、嫌な思いの原因になった相手とかは、自分が思っているほどは気にしていないし、どうせ忘れる。学習や改善は他人のためではなく自分のためにやれば良い。

どうせ短い人生なら楽しいほうが良い

結局はこれ。どんなに頑張ったって80年とか100年とかしか生きられない人生の中で、辛かったり悲しかったりする感情に時間を割く暇なんて無い。可能な限り楽しい時間を増やしたほうが良い人生に決まってる、絶対に

であれば、できる限りネガティブな感情を持たず、ポジティブに考え続けたほうが自分のためになる。全ての物事にはあらゆる側面があり、その側面の捉え方を変えればポジティブシンキングが出来ると僕は考えていて、それが今回書いた6つの考え方だ。


スーパーポジティブマッシーンになれば、人生はもっと楽しく、楽に生きられる。みんな、楽しくいこうぜ。


講談社 (2004-11-16T00:00:01Z)
村上 春樹(著)

このブログの人気の投稿

自走する組織に必要なのはルールではなくガイドライン

ということをいつも心がけている、という話です。 僕が組織のマネジメント職を20年ほどやらせてもらっている上で、いつも意識しているのは権限移譲とセルフマネジメントです。この辺の話は過去のブログにも書きました。 管理職のためのエンジニア組織構築マニュアル 管理職のための役職引退マニュアル 現場に口を出さないマネージャーの作り方 つまり「権限と裁量を同時に移譲し、責任感を持ってプロアクティブに仕事をしてもらいながらも、メンバーの良いところを更に引き出して高いパフォーマンスを出してもらう」ことこそが、マネジメント職のやるべきことだと思っています。 そのために僕がいつも権限移譲の際に伝えるのは、ルールではなくガイドラインです。ルールは規則や規定といった決まりごとなので「やること」「やってはいけないこと」が書かれたものです。ガイドラインは大まかな指針なので「方向性」「やったほうがいいこと」「やらないほうがいいこと」が書かれたものです。 ルールを提示した場合、そのとおりにすれば過去の実績からある程度の成功は見込めるものの、状況に応じた柔軟な判断が出来ませんし、メンバーの考えや意見が行動に反映されません。メンバーはルール通りの行動しか出来ず、結果としてルールを作成した人以上の成果は出せなくなってしまいます。 ガイドラインの場合、会社として望ましいと考える方向性だけが書かれているので、状況に応じた柔軟な判断も出来ますし、メンバーが考えるより良いやり方や行動を取り入れることが出来ます。ガイドラインを作成した人以上の良いアイデアがあればガイドラインをアップデートすることも出来ます。 これは権限移譲だけでなく、育成においても同様だと僕は考えます。1から10まで決まりきったカリキュラムをやらせることも時には(あるいは人によっては)必要だけれど、本当に価値のある育成は、メンバーに目指してほしい姿を伝え、現在とのギャップを一緒に認識し、そのギャップを埋めるための多種多様な方法を伝えて、その上で本人が取捨選択して自分自身で学習していく。企業や上長はそのサポートを行う。というのが、最も成長出来る育成方法だと思います。 学習する組織 ― システム思考で未来を創造する posted with AmaQuick at 2

努力できること自体が才能なので、努力しただけで褒められるべき

発明王トーマス・エジソンの名言としてよく知られる「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という言葉があります。実際の意図は「1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄になる」であったとも 言われています が、まぁどちらにせよ、ひらめきだけでは成功することはできず、そこには必ず努力も必要となります。 漫画「はじめの一歩」において主人公の師匠である鴨川会長は「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる」と言っていました。ここにも、成功において努力は必要不可欠であるとの強いメッセージがあります。 しかし、実際には誰もが努力できるわけではありません。 努力できること自体が才能 なのだと思います。 努力をしないことが問題だと言うつもりはありませんし、努力をしないという選択肢を選ぶことは個人の自由だと思います。必ずしも成功が万人の幸せなわけではないし、成功しなくても得られる生活によって満足する人だっています。 僕が言いたいのは「そもそも努力できない人がいる」という事実です。こういう方は選択の余地が無く、何かにおいて1位になったり、一流になったり、勝利したり、成功したりすることは難しくなります。それらには必ず努力が必要になるからであり、そして努力ができない、努力をする才能が無いからです。 これには実験の裏付けがあります。詳しくは10年前の WIREDの記事 に書かれていますが、ざっくり言うと、脳内の一部(左線条体と前頭前皮質腹内側部)におけるドーパミン作動性活性が高いと努力ができる、違う一部( 島皮質)の ドーパミン作動性活性が高いと努力できない、という実験結果があります。そもそも脳の作りや働きによって努力ができる人とできない人がいる、ということです。 繰り返しになりますが、僕は努力しない人が悪いとも思っていないし、責めるつもりもありません。僕が言いたいのは以下の2点です。 (1)努力できること自体が才能であり、その才能が無い人はそもそも努力ができないので 、努力できないことを責めてはいけない。 それは本人の特性であり個性だから。 (2)努力できること自体がすごいことなので、努力した結果が成功に結びつかなかったとしても、責めてはいけない。 努力しただけで褒められてよい。 人にはそれぞれ適材適所があるので、めちゃくちゃ努力する人は努力が

「許可を得るな、謝罪せよ」が意図していること

 弊社ではセルフマネジメントとアウトプットファーストを行動指針として掲げていますが、セルフマネジメントを象徴する言葉としてよく使われるのが 「許可を得るな、謝罪せよ」 です。 細かい話は 以前ブログにした のでそちらを読んで頂くとして、この言葉が意味するのは「アクションするのにいちいち許可を得る必要はない。許可を取る時間が無駄。やっていいですかじゃなくてやりましたと言えばいい。その結果間違っていれば謝れば良いだけ」です。 何故この方針を取るのか、この方針によってどのような結果を期待しているのか、を改めて整理したいと思います。 アクションのスピードを上げたい これは上述した意味の通りで、何らかの施策や企画があるときに、上長の許可を取るために資料を作ったり、打ち合わせしたり、下調べをしたり、という時間が無駄だからです。 この考え方の前提として「小さな失敗を早くたくさんする」というのがあります。どんな施策も企画も、正解なんて誰にもわからないし、やり方次第で変わるものです。アイデアの時点であーだこーだ言うより、実際に手を動かしてやってみて、その結果から継続の判断を行うことで、リスクを小さく、コストも小さく、たくさんアクションすることが出来ます。 モチベーションを持って取り組んでもらいたい 何でもそうですけど、人に言われたことをそのままやるより、自分で考えたことを自分のやり方でやるほうが、面白いです。僕が仕事をする上で、または僕がピープルマネジメントする上で、一番重要視しているのは、面白いかどうか、です。 担当者がモチベーションのないままやって成功することなんて(ほとんど)ありません。その施策や企画の実施に一番モチベーションがあるのはそれを考えた人なので、その人に主導してもらうのが一番成功率が高いです。 主体性を持って取り組んでもらいたい モチベーションと同様に、担当者が主体性のないままやって成功することなんて(ほとんど)ありません。その施策/企画を自分ごととして捉え、だからこそ知恵を絞って、全力を発揮する、つまり主体性を持って取り組むことが、一番成功率が高いです。そしてもちろん、一番主体性を持てるのはそれを考えた人です。 なお、主体性と責任は違います。前述の通り「小さな失敗を早くたくさんする」ためには、失敗に対して責任を追求するのではなく、結果と知見を追求する、という文化が