贅沢に対する恐怖に怯えている

僕が小さい頃、我が家は貧乏だった。

とは言え、極端なほどではない。家もあったし、サッカーという習い事も出来ていたし、三食ちゃんと食べることが出来た。でも例えば外食はしないとか、ブランドものの服は着ないとか(今思い出せばジャージ以外着たことなかった)、旅行には行かないとか、ファミコンを買ってもらえないとか、そういうレベルでは裕福ではなかった。母子家庭だったので父親はおらず、慰謝料は一銭も入ってくることがなく、母はいつも頑張って働いてくれていた。

そんな母の姿を見ていたから、僕もとにかく金を稼がなくては生きていないという想いが強く、中学時代は知り合いの伝手でちょっとした日銭が稼げるアルバイトをしていて、中学卒業後にはすぐに手に職を得ることが出来そうな工業高校に進学した。高校時代は平日も土日もずっとアルバイトで、年末年始も休まず働いていた。その後進学したいと思うようになり、高度専門士の取得が可能な4年生の専門学校への入学が決まっていたものの、金銭的な事情から進学を諦めざるを得なかった。結果として、高校卒業にすぐ就職した。

その後21歳という若年で結婚し、長女が生まれたけど、もちろん高卒で21歳の若者の給与なんかたかだか知れており、必死に働いた。本業だけでは食って行けず、知人の紹介で副業を持ち、朝8時から夜中3時まで働いた。結婚後の幸せ太りで10kg増えた僕の体重は、一番過酷だった2ヶ月間であっという間に元に戻った。

そんながむしゃらに生きて、今の僕がある。

率直に言えば、今の僕は僕の人生の中で最も金銭的な余裕がある。40歳になり、ある程度の給与を貰えるようになり、幸いなことにボーナスまでもらえる(僕がボーナスをもらったのは今の会社が初めてだ。ボーナスを初めてもらった時、「あ、ボーナスって本当に存在するんだな」と思った)ような状況だ。すごく幸せなことだと思う。

しかし、だからこそ、僕は贅沢が怖い。贅沢をすること、それに慣れること、そして贅沢にスポイルされることが怖い。必死に働いて、節約して、誰もやらないような泥臭い仕事をして、それで何とか生きていた経験の積み重ねが、今の僕を作っている。僕が今仕事をさせてもらえているのは、その経験を買ってもらえているからだけれど、それも「たまたま」であり、仕事がなくなった時にまた同じように必死の努力をしなくてはならない。必死の努力をするのは苦ではないし、その状況になるのも怖くない。僕が一番怖いのは、お金に余裕がある生活に慣れてしまい、それを失った時に、人生に対して戦えなくなることだ。昔のように、ガムシャラに、我慢に我慢を積み重ね、誰もやらないような辛く厳しい仕事を自ら手に掴んで生きていく、そういった僕の強さが無くなってしまうことだ。

僕が思うに、贅沢という欲望は、決して満たされることのない貪欲な獣だ。しようと思えばどこまでもキリが無い。そしてその欲望を満たすことが出来なくなった時には、牙も爪も失われ、餓死していくだけだ。決してその獣に取り憑かれてはならない。

だから今、僕は決して贅沢はしない。ブランドものの服なんて着ないし、高級なレストランにも行かないし、高い酒も飲まない。独りでご飯を食べる時はどれだけ安いところで満足感を持てるかを追求している。毎月お小遣いをもらっているけれど、ほとんどが勉強のための本や授業料に費やしている。やろうと思えばパーッと遊ぶくらいのお金が無いわけじゃないけれど、そんな自分になりたくない。そんな自分になってしまうことが怖い。

こうして僕は今、贅沢に対する恐怖に怯えている。




この投稿をInstagramで見る

Daisuke Sasaki(@smokey.d.monkey)がシェアした投稿 -


ウルフ・オブ・ウォールストリート 上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ジョーダン・ベルフォート
早川書房
売り上げランキング: 32,507

このブログの人気の投稿

転職のお知らせ

40代の減量戦略 〜体重-14kg、体脂肪率-12%を実現した具体的な方法〜

45歳になりました