「出張先ラン」という儀式について

僕は仕事柄出張が多く、日本各地、あるいは世界各地で、初めての街に訪れる機会が多いのだけれど、その際にはランニングの道具を持っていくようにしている。と言っても多くは無い。Tシャツと短パン、シューズ、キャップ、ポーチ、イヤホン。冬であればこれにタイツと長袖のウォームアップシャツが加わる。そして早起きしてまだ薄暗い街を10km程度軽くジョグする。

さて、かつて村上春樹は「羊たちをめぐる冒険」で以下のような一節を書いた。
「私たち、本当に正しい街にいるの?」と彼女が訪ねた。
(中略)
「どうだろうね」と僕は言った。
「何かがずれているような気がするの」
「はじめての街というのはそういうものなのだよ。まだうまく体がなじめないんだ」
あるいは短編集「神の子どもたちはみな踊る」に収録された「UFOが釧路に降りる」では以下のように表現された。
「でもここでこうしていても、遠くに来たような気があまりしないな。変なものだね」
「飛行機のせいよ。スピードが速すぎるから」とシマオさんは言った。「身体は移動しても、それにあわせて意識がついてこられないの」
僕は初めての街に行くたびに、同じような気持ちを毎回味わっている。身体だけが移動してそこにいるんだけど、心とか魂とかそう呼ばれるものを自宅に忘れてきてしまっているような感じ。このズレをそのままにしていると、それが誰も自分のことを知らないという大きな孤独感や、この街において自分はよそ者で受け入れられていないという疎外感に変わり、心臓が鷲掴みされたような恐怖に襲われてしまう。

出張先ランというのは、身体をその街に馴染ませ、そして置いてきた魂を身体に注入する儀式だ。その街の空気の中で、その街の道を、そこに住む人々とすれ違いながら、ビルやショップやマーケットを眺めながら、走り続ける。早朝という時間はまだ人の影もまばらで、観光客のようなその街以外の要素はほぼ見かけない。その街の生活の生の姿を見ることが出来る。10kmも走れば街の雰囲気も人々の暮らしもわかるし、道も覚える。そうして戻ってきた頃には僕の魂は身体にピッタリとハマっていて、そして僕の身体も街にピッタリとハマっていて、この街に受け入れられたのだと感じる。

日本はもちろん、海外も早朝はそれほど治安の心配が無いので、ちゃんと気をつけていれば快適に走れる。遠くの街を訪れる機会があるのであれば、是非その街を走ってみて欲しい。きっと一層その街を好きになれるだろう。

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