コミュニケーションコストは無駄なんかじゃない

コミュニケーションとは相互の知見や経験を共有するプロセスであり、当然共有のためのコストがかかる。具体的には時間、考えを言葉にするという行為、相互の認識不一致などのロスとその修正などだ。そしてそのコストは相互の距離に比例する。極端に言えばお互いの脳をダイレクトリンクするのが一番なんだろうけど、現実的には対面で同じ言語で会話するのが低コストだ。言葉だけでなくちょっとした仕草や全身のリアクションなどといった、いわゆる「空気」がダイレクトに把握出来るからだ。オンラインのビデオチャットでは、言葉は伝わるものの、そういった「空気」を伝えるのは難しい。またこれが文字チャットになると、言葉に含まれる感情が失われる。さらに非同期のコミュニケーションとなれば、話題に対する鮮度がずれて、更に噛み合わなくなる。

こういった問題は職場だけでなく、今やSNSを使いこなすようになった学生でも、家族でも、地域コミュニティでも同様だろう。コミュニケーションとはそれ自体がコストであり、状況やツールによってコストが増減する、という認識は全ての人が持つべきだと思う。そしてそのコストを出し渋れば出し渋るほど、分かり合えなくなる。コミュニケーションコストは無駄なんかじゃない。誰もがコミュニケーションにかかるコストを積極的に支払うべきなんだと僕は思う。ディスコミュニケーションによって発生するコストは無意味で無意義だ。そんな無駄を省くことでもっと皆が楽しく暮らせるだろうし、そのためにコミュニケーションコストはもっと支払って良い。

ところで、例えば弊社なんかもそうなんだけど、最近ではフレックスやリモートワークなど、自由な働き方を認める会社が多くなった。そうすると働いている時間も場所も違うので、当然コミュニケーションコストは大きくなる。だからといって「自由な働き方を辞めるべき」という結論は本末転倒なので、自由な働き方を維持しながらどうやってコミュニケーションコストを小さくするか、具体的にはオンラインや非同期でも情報ロスが少ないコミュニケーションの形を模索していかなくてはならない、という課題を持っている。

特に結論は無いんだけど、最近こんなことをもやもやと考えています。


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