スキップしてメイン コンテンツに移動

BABYMETALという”ミクスチャー・アイドル”の3つの魅力

はじめに

以降の文章は音楽専門家でもアイドル評論家でも無いただの音楽愛好家の僕が勢いだけで書いた文章なので正確性も裏付けもクソも無いです。

弊社の@take3000が猛烈にプッシュしているBABYMETALというアイドルがいます。

アイドルという下地にヘヴィメタルへの中二的固定概念をプラスしてかつ打ち込みでキラキラ感を出しつつジャパニーズ歌謡の本線を突き進んでいる、という、もはやコンセプト勝ちとしか言えないアイドルなのですが、このBABYMETALが先日1stアルバムをリリースしました。

BABYMETAL(通常盤)BABYMETAL(通常盤)
BABYMETAL

トイズファクトリー
売り上げランキング : 198

Amazonで詳しく見る by AZlink

このアルバム、今すごいセールを叩き出しています。「ナタリー - BABYMETALが修行の旅に、ヨーロッパで聖誕祭開催」という記事から引用すると
2月26日に発売された1stアルバム「BABYMETAL」がiTunes Storeにて、アメリカのメタルアルバムチャートで1位、イギリスとドイツのメタルアルバムチャートで2位、台湾のロックアルバムチャートで1位と世界各国で上位にランクイン
と、日本の、しかもわりと色物なアイドルとしては、大奮戦なのでは無いでしょうか。

で、僕もここ数日このアルバムばかり聴いていたのですが、BABYMETALが持つ魅力を3つにまとめてみましたので、ここに書いてみようと思った次第です。

3つの魅力

1.あくまでポップなメロディライン

このアルバムには13曲の楽曲が含まれているものの、それぞれの曲の色合いは大きく違います。かなり重たい音だけで構成された曲もあれば、単に低音の構成としてメタルっぽさを使っているだけでアイドルポップそのものという曲もあります。ベースとしてはあくまでアイドルであり、メタルについてはその様式美を上手く活用している、という印象ですね。
このため特にボーカルラインはあくまでポップから大きく離れません。前述した通り、きっちりジャパニーズ歌謡になってます。このため非常に聴きやすいです。
この「聴きやすい」という要素はとても重要で、例えばマキシマムザホルモンなんかはあのキャラのおかげで一見相当コアに見えますが、実情としてアルバム「ロッキンポ殺し」以降の曲はとても"聴きやすい"です。大流行した「恋のメガラバ」もそうだし、アルバム「予習復讐」に収録された「my girl」「恋のスペルマ」なんかもそうですね。80年代〜90年代に作り上げられたポップさを踏襲している曲構成になっています。
この「ポップである」ということ、これが1つ目の魅力です。

2.メタルとアイドルという相反したコンテンツの融合

BABYMETALはメインボーカル1名+コーラス2名という構成なのですが、このメインボーカルの女性、多分もっとテクニカルな方だと思うんですが、ビブラートなどは最小限しか使ってません。しかし伸びやかで丁寧な歌い方をされています。変な言い方をするとアイドルらしい素朴さがあります。
僕は別にアイドルに詳しい訳ではないのでコレは完全な印象論なのですが、アイドルの様式美は若さと良い意味での拙さ、そして清潔感にあると思うんですね。しかし、それではメタルの様式美とは何か?高い技術と乱暴さ、そして汚さじゃないですか。これは二つの様式美が完全に相反しています。
だからこそ、このメインボーカルの女性の歌い方は狙っているのでは無いか、と思います。あえて相反した固定概念を組み合わせること。タイトルで"ミクスチャー"と書きましたが、アイドルに別のジャンルを組み合わせた例は他にも色々あります。例えばラップを組み合わせた「ライムベリー」もいます。しかし正直なところ当時ラップはオシャレ要因の一つのような風潮があり、特に違和感ありませんでした(ラップという様式がライムもクソも無いクソバンドにスポイルされた現状について色々思うことはありますがソレは今日の本題ではありません)
この相反するコンセプトを融合させたこと、そしてあえて相反の図式を崩さないこと。だからこそアイドルとメタル、それぞれの様式美が光っていること。ここが2つ目の魅力です。

3.底辺にあるメタルへの造詣、或は憧憬

僕は中学〜高校とメタル漬けの日々を送っていたので、80年代から90年代のヘヴィメタルはそこそこ聴いてきました。古典から入って途中からジャーマンずっぽりになり、その後インダストリアルに傾倒したクチです。
で、BABYMETALの楽曲は一口にヘヴィメタル風と言ってもそれぞれ別々のコンセプトがあります。ほぼアイドルポップな「ギミチョコ!!」や「いいね!」、インダストリアル風の「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」  、古典ヘヴィメタルな「紅月」、スラッシュぽい「悪夢の輪舞曲」など...それぞれの楽曲に含まれる古き良きメタルのコンセプトを想いながら聴くと趣きがあります。
特に一番面白いなと想ったのが「おねだり大作戦」で、もうまんまLimp BIzkitのオマージュですよねコレ。途中で入ってくるシャウトが完全にFred Durstです。電車内でニヤニヤしちゃいました。
なので、元メタルリスナーが聴くととても面白いです。これは「ヘヴィメタル風」と言いつつ、作曲やプロデュースしている人がちゃんとヘヴィメタルを"解って"作っているんでしょう。単にメタル感をつまみ食いしているわけじゃなくて、メタルが好きで作ってるんだと感じます。
このヘヴィメタルへの愛、これが3つ目の魅力です。

まとめ

以上、もう完全に勢いだけで書きました。そしてこんだけ言いつつ、一番良いなと思ったのがまんまアイドルノリの「ド・キ・ド・キ☆モーニング」である辺り僕はもうダメです。

このブログの人気の投稿

努力できること自体が才能なので、努力しただけで褒められるべき

発明王トーマス・エジソンの名言としてよく知られる「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という言葉があります。実際の意図は「1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄になる」であったとも 言われています が、まぁどちらにせよ、ひらめきだけでは成功することはできず、そこには必ず努力も必要となります。 漫画「はじめの一歩」において主人公の師匠である鴨川会長は「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる」と言っていました。ここにも、成功において努力は必要不可欠であるとの強いメッセージがあります。 しかし、実際には誰もが努力できるわけではありません。 努力できること自体が才能 なのだと思います。 努力をしないことが問題だと言うつもりはありませんし、努力をしないという選択肢を選ぶことは個人の自由だと思います。必ずしも成功が万人の幸せなわけではないし、成功しなくても得られる生活によって満足する人だっています。 僕が言いたいのは「そもそも努力できない人がいる」という事実です。こういう方は選択の余地が無く、何かにおいて1位になったり、一流になったり、勝利したり、成功したりすることは難しくなります。それらには必ず努力が必要になるからであり、そして努力ができない、努力をする才能が無いからです。 これには実験の裏付けがあります。詳しくは10年前の WIREDの記事 に書かれていますが、ざっくり言うと、脳内の一部(左線条体と前頭前皮質腹内側部)におけるドーパミン作動性活性が高いと努力ができる、違う一部( 島皮質)の ドーパミン作動性活性が高いと努力できない、という実験結果があります。そもそも脳の作りや働きによって努力ができる人とできない人がいる、ということです。 繰り返しになりますが、僕は努力しない人が悪いとも思っていないし、責めるつもりもありません。僕が言いたいのは以下の2点です。 (1)努力できること自体が才能であり、その才能が無い人はそもそも努力ができないので 、努力できないことを責めてはいけない。 それは本人の特性であり個性だから。 (2)努力できること自体がすごいことなので、努力した結果が成功に結びつかなかったとしても、責めてはいけない。 努力しただけで褒められてよい。 人にはそれぞれ適材適所があるので、めちゃくちゃ努力する人は努力が

自走する組織に必要なのはルールではなくガイドライン

ということをいつも心がけている、という話です。 僕が組織のマネジメント職を20年ほどやらせてもらっている上で、いつも意識しているのは権限移譲とセルフマネジメントです。この辺の話は過去のブログにも書きました。 管理職のためのエンジニア組織構築マニュアル 管理職のための役職引退マニュアル 現場に口を出さないマネージャーの作り方 つまり「権限と裁量を同時に移譲し、責任感を持ってプロアクティブに仕事をしてもらいながらも、メンバーの良いところを更に引き出して高いパフォーマンスを出してもらう」ことこそが、マネジメント職のやるべきことだと思っています。 そのために僕がいつも権限移譲の際に伝えるのは、ルールではなくガイドラインです。ルールは規則や規定といった決まりごとなので「やること」「やってはいけないこと」が書かれたものです。ガイドラインは大まかな指針なので「方向性」「やったほうがいいこと」「やらないほうがいいこと」が書かれたものです。 ルールを提示した場合、そのとおりにすれば過去の実績からある程度の成功は見込めるものの、状況に応じた柔軟な判断が出来ませんし、メンバーの考えや意見が行動に反映されません。メンバーはルール通りの行動しか出来ず、結果としてルールを作成した人以上の成果は出せなくなってしまいます。 ガイドラインの場合、会社として望ましいと考える方向性だけが書かれているので、状況に応じた柔軟な判断も出来ますし、メンバーが考えるより良いやり方や行動を取り入れることが出来ます。ガイドラインを作成した人以上の良いアイデアがあればガイドラインをアップデートすることも出来ます。 これは権限移譲だけでなく、育成においても同様だと僕は考えます。1から10まで決まりきったカリキュラムをやらせることも時には(あるいは人によっては)必要だけれど、本当に価値のある育成は、メンバーに目指してほしい姿を伝え、現在とのギャップを一緒に認識し、そのギャップを埋めるための多種多様な方法を伝えて、その上で本人が取捨選択して自分自身で学習していく。企業や上長はそのサポートを行う。というのが、最も成長出来る育成方法だと思います。 学習する組織 ― システム思考で未来を創造する posted with AmaQuick at 2

「許可を得るな、謝罪せよ」が意図していること

 弊社ではセルフマネジメントとアウトプットファーストを行動指針として掲げていますが、セルフマネジメントを象徴する言葉としてよく使われるのが 「許可を得るな、謝罪せよ」 です。 細かい話は 以前ブログにした のでそちらを読んで頂くとして、この言葉が意味するのは「アクションするのにいちいち許可を得る必要はない。許可を取る時間が無駄。やっていいですかじゃなくてやりましたと言えばいい。その結果間違っていれば謝れば良いだけ」です。 何故この方針を取るのか、この方針によってどのような結果を期待しているのか、を改めて整理したいと思います。 アクションのスピードを上げたい これは上述した意味の通りで、何らかの施策や企画があるときに、上長の許可を取るために資料を作ったり、打ち合わせしたり、下調べをしたり、という時間が無駄だからです。 この考え方の前提として「小さな失敗を早くたくさんする」というのがあります。どんな施策も企画も、正解なんて誰にもわからないし、やり方次第で変わるものです。アイデアの時点であーだこーだ言うより、実際に手を動かしてやってみて、その結果から継続の判断を行うことで、リスクを小さく、コストも小さく、たくさんアクションすることが出来ます。 モチベーションを持って取り組んでもらいたい 何でもそうですけど、人に言われたことをそのままやるより、自分で考えたことを自分のやり方でやるほうが、面白いです。僕が仕事をする上で、または僕がピープルマネジメントする上で、一番重要視しているのは、面白いかどうか、です。 担当者がモチベーションのないままやって成功することなんて(ほとんど)ありません。その施策や企画の実施に一番モチベーションがあるのはそれを考えた人なので、その人に主導してもらうのが一番成功率が高いです。 主体性を持って取り組んでもらいたい モチベーションと同様に、担当者が主体性のないままやって成功することなんて(ほとんど)ありません。その施策/企画を自分ごととして捉え、だからこそ知恵を絞って、全力を発揮する、つまり主体性を持って取り組むことが、一番成功率が高いです。そしてもちろん、一番主体性を持てるのはそれを考えた人です。 なお、主体性と責任は違います。前述の通り「小さな失敗を早くたくさんする」ためには、失敗に対して責任を追求するのではなく、結果と知見を追求する、という文化が