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さっぽろ星まつりに行ってきた

今日は長女と長男を連れて、さっぽろ星まつりに行ってきた。

17:30に会場着、既にかなりの人が参加していた。大半は子連れであり、主に小学生が多かった。8月とはいえ夜になるとかなり冷え込んでおり、子供たちにもジャンバーを用意していたが、トレーナー+ウィンドウブレーカーくらいの装備はしておけば良かったと思う。

体験コースは既に締め切られていたので、札幌第一高校天文部の紙芝居を見ながら日暮れを待つことに。天文部の皆さんは、声もはっきり出て、堂々と喋っていたため聞き取りやすく、子供たちもかなり楽しかった様子。質問にもきっちり答えてくれて大変ありがたかった。

19:00を過ぎて日が暮れると、移動天文車や天文愛好家の皆さんの天体望遠鏡を使った観望会。200人くらい参加者がいたので少し並ぶ必要はあったが、クレーターがはっきり判るほど月を大きく見せてもらったり、木星と4衛星を見せてもらったり、北斗七星の双子星(いわゆる死兆星ってやつ)を見せてもらったりした。天文愛好家の皆さんは望遠鏡をわざわざ持ち寄って来ているだけあって、質問にもにこやかに答えてくれて嬉しかった。ありがとう天文愛好家の皆さん。しかしあの100万円くらいしそうな天体望遠鏡は趣味で購入しているんだろうか...子供たちも普段なかなか見ることが出来ない星の姿を見れて大興奮、非常に楽しかったようだ。連れていった甲斐があるというもの。

尚、iPhoneの「Planets」Planetsというアプリは、自分の現在位置を中心に星座や惑星の位置を表示してくれる。なかなか便利だが、惑星の名前は出るものの星座の名前までは出ないため、別途自分で勉強しておく必要がある。それでも今日みたいなイベントでは大活躍するのでオススメ。

このさっぽろ星まつり、明日8/30(日)にも開催されるため、札幌近郊の方は是非行って、普段なかなか見ることが出来ない星の姿に接してみてはいかがだろうか。


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